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かわんちゅがうだうだするところ
Posted by - 2024.04.18,Thu
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Posted by かわんちゅ - 2016.10.26,Wed
フレンチエレクトロ(フレンチハウス)を知っているだろうか。名前の通りフランスのエレクトロミュージック、シンセサイザーを多用し、近年人気のEDMブームの原点でもある。私が聴く音楽の大半はこのジャンルで、例えばDaft Punkなどは聴いたことがある人も多いだろう。他にもKavinskyやYuksek、Yelleなど好きなアーティストは多いのだが、今回は私がエレクトロにハマるきっかけとなったJusticeについて投稿しようと思う。

 Justiceはふたりのフランス人、ギャスパール・オジェとグサヴィエ・ドゥ・ロズネのエレクトロデュオである。もう名前から格好いいが、もちろんその音楽も格好いい。私がJusticeを知ったのは前回投稿のM.I.A.の時と同じく、2007年頃である。ラジオから流れてきたD.A.N.C.Eという曲がきっかけだった。

 簡単で、聞き取りやすい歌詞、軽やかなシンセサイザー、ブリッブリのベースは中学生の私の心を4分で掴んだ。基本的に歌詞は繰り返し、リハーモナイズ(同じメロディでコードを変えること)によってノッているうちにあっという間の4分間だ。この曲はさらにボーカルに驚く。多くのエレクトロアーティストと同じくJusticeにはボーカルが存在しないが、D.A.N.C.Eは少年合唱団(ロンドン少年聖歌隊)の歌声が使われていた。どうやらマイケル・ジャクソンへのトリビュート曲で、Jackson5をイメージしての起用らしい。もちろんノンボーカルの曲(StressとかCanonとか)も好きだが、この曲は別格という感じがある。
 おしゃれなMVもおすすめだ(MV仕様のため3分余りしかない)


 上にも書いたが、Justiceの特徴にブリブリなベースがある。これが素晴らしい。DVNOやWe Are Your Friends(Never Be Alone)は顕著だし、Justiceらしい“踊れるし聴ける”音楽になっていると思う。
 DVNOのラストは是非聴いてほしい。(MVでは収録されていないのでこちらは音楽のみ)


 フレンチエレクトロの特徴のひとつに、リリースごとに曲の雰囲気が変わりやすいことがある。D.A.N.C.EやDVNOはエレクトロダンスのような万人が聴きやすい音楽になっているが、Justice初期のWaters Of NazarethやLet There Be Lightなんかはザリザリのゴリゴリなので苦手な人は苦手だと思う(聴き込みが足りないのだ)。一方最新のSafe And Soundはおしとやか(?)な曲調である。お気に入りの曲を見つけるためにも、Justice、フレンチエレクトロはいくつものアルバムを聴いてほしい。

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Posted by かわんちゅ - 2016.10.25,Tue
M.I.A.という女性歌手を知っているだろうか。
 日本ではそれほど有名ではない人物だと思うが、私は大好きだ。初めて買ったアルバムCDも彼女のKalaというものだった。ラジオから流れてきたJimmyという曲に惚れたのは中学二年生のころだったと思う。

 M.I.A.という名前の由来は戦闘中行方不明(missing in action)にある。彼女はスリランカ出身のタミル系イギリス人で、スリランカ内戦中に父と連絡が取れなくなった。彼女の父は反政府勢力LTTE(タミルイーラム解放の虎)の重要メンバーで、2009年にLTTE降伏による内戦終結後も消息は不明である。父へのメッセージを込めた名前がM.I.A.となったようだ。1stアルバムArularは父のコードネーム、2ndアルバムKalaは母の名前、3rdアルバムMayaは自身の名前を用いており、父を心配する気持ち、家族愛が垣間見える。

 Jimmyも戦闘中行方不明の兵士を心配する歌となっており「Jimmy aaja(帰ってきて)」というフレーズが印象的な曲となっている。しかしながら曲調は決して暗くはなく、ラーガ、オルタナティブ、ヒップホップが混ざったような独特の雰囲気を醸し出している。彼女の曲はジャンルを決めることが難しく、この雰囲気が日本人ウケしないことの理由だと思っている。国際的にはそんなことはなく、Jimmyが収録された2ndアルバムKalaはローリングストーン誌において「2007年のベストアルバム」と評されている。


 滑舌がいいというか、むちゃくちゃ早口で歌うことが多いので聞き取りづらいが、歌詞がとてもかっこいい。おすすめはBoyzとWorld Townだ。Boyzは映画プラダを着た悪魔の挿入歌だったこともあり、聞いたことがある人も多いかもしれない。プラダを着た悪魔はファッション誌の出版社で働くおしゃれでかわいい新米編集者のアン・ハサウェイがひたすら可愛い映画だが、Boyzの歌詞は女の子が酒を飲んで男を侍(はべ)らせる内容だ。ロックである。World Townもガラの悪い街を歌っていて、手を上げろとか、銃を出せとか、そんな感じである。



 反社会的、反権力的で、退廃的なM.I.A.の曲がとても好きだ(全米生放送のTVで中指を立てて大騒ぎになったこともある)。そんなM.I.A.も今年で41才。今もなお精力的に活動を続けており、今年9月にもnewアルバムAIMをリリースした。これからもゾッコンだし、目が離せない。みんなも要checkだ。むちゃ美人だし。
Posted by かわんちゅ - 2016.04.14,Thu

今日もちまちまと論文を読んだ。
カメの歩みである。



 



世界的に科学研究では、英語が実質的な共通言語になっている。
つまり厄介なことに、新しい知見の発表は、殆どの場合英語を用いた論文によってなされているのだ。

そもそもなぜ英語が世界共通語となっているのだろうか。
英語の『英』の字、イギリスの歴史が大きくかかわっている。16世紀から20世紀にかけてイギリスは植民地を世界中へ広げ、間接的に統治下においた。各植民地での統治者はイギリス本国に呼ばれ(英語で)教育を受けた階級の人々であり、それぞれの場所で英語が支配的な言語となっていったのだ。イギリスからの独立国は現在においても殆どの国で英語が公用語とされている。特にかつての植民地のアメリカが超大国となり、国際的に大きな力を持つようになった現在、英語は全世界で五億人以上の人々に使われている。

英語で論文を書くことのメリットは非常に大きい。国際社会においても実質的共通語となっている英語は、論文を世界に発信することができる。世界中に知見を公表し、世界中の研究の参考になっていく。また、世界から反応が来やすいことは執筆者本人にとっても良い影響があると思う。

では日本語で書かれた論文にはどんなメリットがあるのだろか。
知見を早く発表できるということが思いつく。どんなに英語が堪能な人でも母国語で論文を書く方が、英語で書くよりずっと早い。日本人には日本語でこそ伝わる意味もある。執筆者の思考を影響させるには、母国語が適切だと思うのだ。執筆者がかける膨大な手間と時間を考慮すると、英語より母国語で執筆する方がずっと効率的だと思うのである。
また同じように、読者は内容を早く理解できる。読解なんぞ慣れれば早いともいうし、英語を勉強すればいいともいわれる。実にごもっともなお話である。しかし塵も積もれば何とやら、論文読解は読者にとって作業効率、研究スピードを左右するのだ。英語を読む、英語で書くというストレスがたまる作業に時間を割くよりも、実験や考察に時間を使いたいところである。
科学は目まぐるしく更新され、進歩し続けている。知見を早く知らせる、早く得るということは大事なことだと思う。

とにかく私は英語を読むのは苦手だし面倒なのだ。勉強していくしかないけれど。


クリスマスには日本語で書かれた論文を綺麗に英訳してくれる人、英語で書かれた論文を綺麗に和訳してくれる人をサンタクロースにお願いするつもりである。


追記
クリスマスじゃ遅い

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